DESIGN BY ACTION
――ともに未来を紡ぐ、仲間を求めて
2026年、4つの大きな変革を迎えるKMD。その変化のひとつ「New research domains(新たな研究領域の開拓)」を担う新任教員4名と、専任教員が集い、これからのKMDについて語りました。

“ここでは、やりたいことに挑戦できる”(大喜多)
南澤:皆さんの専門分野と、ご自身の新しい活躍の場としてKMDを選んだ理由を教えてくれませんか?
大喜多 私は、ロボットやバーチャルリアリティ空間などを活用した教育心理や学習科学の研究をしています。どうすれば一人ひとりの学びを最大限に引き出せるのかについて日々考えているのですが、いつまでも “好奇心を持ちつづける”ことがとても重要だと感じています。大人になると「答え」を重視しすぎて、質問をしなくなる傾向があるのですが、問う気持ちをもちつづけないと好奇心は消えてしまうのです。好奇心を育むために、失敗を恐れず挑戦できる学びの環境を探究したくてKMDにたどり着きました。
標葉 私の専門は科学社会学です。科学技術がはからずももたらしてしまう「社会的脆弱性」(災害や経済危機などの影響を受けやすい社会状態)の防ぎ方を研究しています。時代の流れで社会の構造が変わると、格差や摩擦が生じることがあるのですが、そうした問題を最小化することで、より多くの人が幸せになる社会を目指しています。でもそれは、研究室にこもって考えているだけでは実現しません。イノベーションが生まれる現場に身を置いて、リアルな課題を見つける必要があります。つまり、私がKMDに来たのは、異なる研究領域を横断しながら社会と関われる場所を探していたからです。
永山 私の専門は、量子インターネットです。量子技術の実用化に向けた研究を続けるなかで感じるのは、技術開発は確実に前進している一方で、それが社会にどう結びつき、どう活用されるべきなのかという議論がまだ足りていないということ。技術はただつくるだけでは、社会にとって価値あるものになるとは限りません。だからこそ異分野の人と対話しながら、技術と社会の接点を見つける場が必要だと思います。そして、KMDはそれが実践できる場所だと感じました。
武田 私は、エネルギー問題の解決策として、「フュージョンエネルギー(核融合エネルギー)」の実用化に力を注いでいます。この世界はエネルギー問題を含むさまざまな課題を抱えていますが、そうした現状は、大学に籍を置いて知識を深めて論文を書き、学会で発表することで打破できるとずっと信じていました。もちろん、それは間違いではありませんが、今は、研究と実践の両立によって社会変革を目指したいという考えに変わりました。きっかけは、数年前にスタートアップを立ち上げたこと。夢を語ってそれに向かって努力すれば、仲間が集まってくれて、社会も呼応してくれるんだと実感したからなんです。それが全力でできる環境を探していたところ、この場所にたどり着きました。
“若い挑戦者の翼を縛らないように気をつけなければ”(武田)
南澤 それぞれの専門分野の最前線で活躍している皆さんですが、大学院という枠を超え、社会と連携しながら変革を生み出していくこの環境で、KMDの教員としてどのようなことに挑戦したいですか?
永山 学生や企業、KMDの同僚となる方々と一緒に、具体的なプロジェクトをとおして量子情報技術を社会に実装する方法を模索していきたいです。実用化途上の分野だからこそ、異分野の知見も取り入れながら試行錯誤することによって、より良い社会の実現を目指したいと考えています。
武田 まず大前提として、若い挑戦者の翼を縛らないように気をつけなければ、と心に誓っています。学問の発展には不可欠な批判的思考(クリティカル・シンキング)ですが、時にそれが「なぜできないのか」を考える方向に働きすぎて、できない言い訳にもなってしまう。一方でスタートアップは、まずやってみようという前向きな姿勢が基本にあるし、若い人たちに活躍の場が与えられている。もっと言えば、新しい価値を正当に評価する文化があるんです。大学でも、学生たちが社会とつながりながら、自らの可能性を広げていけるような環境を整えたいと思います。
標葉 私は、知識を“みんなのもの”として公共化し、それを必要とする人が適切に活用できる環境をつくりたいです。そうすることで、イノベーションがより良いかたちで社会に還元されるはずだと考えています。こうした公共化を実現させるためには、“Open”(みんながアクセスできる)、“Common”(広く周知されている)、そして、“Official”(エビデンスに基づく)の3つがポイントだと考えているのですが、KMDはその実現に適した環境だと思うので、積極的に挑戦していきたいです。
大喜多 アカデミックとインダストリーな世界に身を置いてきた私が感じるのは、教育の現場が今もなお保守的であり、変化を起こすのが難しいことです。でも、教える側が学ぶ楽しさを実感して、それを探究しつづければ、生徒と一緒に学びのかたちを変えていけるのではないかと思います。きっと、先生自身の好奇心がよみがえれば、そのワクワクは自然と生徒に伝わるはず。お互いが自由に実力を発揮できる環境で学ぶ事で、“世界という野生に戻った時、サバイブできる”と考えています。最新の技術や芸術、実践的なプロジェクトに触れる機会を増やすことによって、学びが教室の中だけで完結せず、社会のさまざまな場面へと広がっていくような循環をここで生み出したい。そして、それが一時的なものではなく、日常に根付くような仕組みをつくりたいですね。
“大人になってから失敗をあまりしなくなってしまった”(永山)
南澤 新しい環境に身を置くことをきっかけに、新たに始めようと思っていることはありますか?
標葉 私は、筋肉をつけてマッチョになりたい。というのも、最近なんだか面白くないと感じることが増えているんですよね。やる前から結果が見えてしまって、挑戦へのワクワク感が薄れているというか。成功する道筋がある程度わかってきただけに、それに沿って進めばいいと思うようになってしまっています。そうしたマンネリを脱するためには、あえて“失敗”すればいいのかもしれないですけど、失敗するのってメンタルだけでなくフィジカルな体力も必要だと思うんです。だから、まずは筋力をつけないといけないなって。
永山 私も、若いときは何度も失敗して、それでもどんどん挑戦していたのに、その気持ちを忘れかけていました。大規模な研究やプロジェクトでは、たくさんのリソースが割かれていて確実な成果が求められますから、成功が最優先になりがちです。そういう意味では、大人になってから失敗というものをあまりしなくなるし、ゴールまでの道のりがすでに見えているのは仕方のないのかもしれませんが、いつの間にか安全な道ばかり選んでいたことを反省して、もっとチャレンジしないといけませんね。
大喜多 教育の現場でも、失敗を恐れる空気は強いです。でも本来の学びとは、失敗をヒントに少しずつ前に進むことだと思います。だから、失敗を理由に自分の力をすぐに見限ったりせず、もっと長い目で自身の成長を見守ってほしいですね。それは実りある失敗だとわかる日がくるかもしれませんから。最近の学びの現場を見ていて残念に思うのは、“good enough mentality(これぐらいでいいか)”という考えが広がっているということ。その背景には、効率を求めすぎる現代社会に理由があると思いますが、学生のうちからそんなふうに考えるのはほんとうにもったいない。自分の知的欲求の赴くまま、貪欲に探究してほしいなと思います。

武田 そう考えると、KMDでは、私たち教員も学生と一緒に失敗して学ぶプロセスを大切にしつつ、まずはやってみようという文化を醸成できたらいいですよね。私は、この機会に誰よりもたくさん失敗してやろうと思っています(笑)。
“KMD2.0で、新しい学問領域を築いていく”(南澤)
南澤 KMDは、創設時、日本にはまだ存在しなかった「社会と連携しながらイノベーションを生み出す大学院」として構想され、挑戦を続けてきました。その運営の過程で生じる新たな課題に向き合いながら、カリキュラムや制度を柔軟に改善し、より良いかたちを模索しつづけてきたんです。そして、2026年度、ここにいる皆さんを迎えて、「KMD2.0」としてこれまでにない大きな変革へと踏み出します(大喜多は2026年度に着任予定)。
ここで、KMD2.0の具体的な改革の内容についてご紹介したいと思います。
まず、ひとつ目は、新たな研究領域の開拓です。新任の皆さんが専門とする分野は、KMDではこれまで十分に扱われてこなかった領域ですが、これからの時代に必要とされる重要なテーマです。10年後、20年後に「あの時、始めてよかった」と実感できるような学問の地平を、ほかの大学院に先駆けて切り拓いていきたいと考えています。
ふたつ目と3つ目の改革は、多様な学生との協働をさらに促進するためのもの。まず、4月入学と9月入学のどちらにおいても、授業の使用言語を英語に一本化し、日本人も留学生も入学時期を問わずに学べる環境を整えます。また、入試も4月・9月ともに英語で実施し、授業は原則英語で開講。受験生には「CEFR」B2レベルの英語運用能力を求めますが、英語に自信がなくても、臆せず飛び込む勇気を持ってほしいです。これは、異なる文化的背景を持つ人たちとともに学ぶための変化であり、英語を完璧に話すことが目的ではありませんから。
4つ目は、「Joint Research Labs」の立ち上げです。これまでKMDでは、「リアルプロジェクト」として、個別の教員と企業が共同で研究を進めることが主流でした。ですが、今後は、複数の教員が異なる専門性を持ち寄り、企業と連携しながらプロジェクトを推進する新たな枠組みを導入します。これによって、より幅広い視点での研究や社会実装が可能になりますから、異分野の融合による新たな価値創出を期待しています。
武田 KMDはこれまでも、日本人と留学生が入り混じった環境だったと思いますが、言語が一本化されてさらにオープンな学びの場になりそうですね。そもそも、国境や人種、言語といったボーダー(境界)という考えは、今の時代にはそぐわなくなりつつあります。
永山 確かに、ボーダーとは、異なるもの同士を隔てる障壁になり得ますが、一方で互いを理解する上での起点にもなると私は思います。ボーダーを取り払ってすべてを均一にするのではなく、違いを受け入れながら共存する方法を模索していくことが大切ではないでしょうか。境界があるからこそそれぞれの文化や考え方が磨かれ、独自の価値観が育まれてきた側面もありますから。
南澤 まさにKMDでは、国籍や言語、専門分野の違いを超えて、さまざまな人々が自由に交わり、協働できる環境をつくっています。ですから、学部を卒業したばかりの人、社会経験を積んでから入学する人、さらには会社をリタイアして新たな学びに挑戦する人まで、幅広いバックグラウンドを持つ学生が集まっているんです。これからも、さまざまな協働が生まれる環境を整えつつ、今回の変革を通じて、実践的な学びの場としての可能性をさらに広げていきたいです。
こうしたKMD2.0を考えるにあたり、「私たちは、社会の中でどういう存在であるべきか」を改めて見つめ直し、クレド(Credo/組織の信条や行動指針)を定めました。それが、“Be a prototype”、“Be flexible”、“Be the change” の3つです。このクレドには、私たち自身が変化の実験台になりながら、柔軟に適応し、新たな変革を生み出していくという意味が込められています。
Be a prototypeは、進化を続けること。KMDも教員も学生も、変化を受け入れながら成長しつづけるという意味です。Be flexibleは、多様な価値観を受け入れ、状況に応じて柔軟に変わること。Be the changeは、受け身でなく、変化を生み出す存在になること。それは、私たち教員も同じです。これらを、KMDが変化の発信地でありつづけるための行動指針としたいと考えています。
“出島人を育てていきたい”(南澤)
南澤 KMDが創設された2008年当時、創設メンバーは、グローバルな学びの場をつくる強い信念を持っていました。世界中の人がつながれば、理想的な学びの場を実現できると信じていたんです。でも、その後の世界の動きを見ると、「グローバル化」が必ずしも正解ではなかったと気づかされます。世界中でのつながりを目指してきたものの、実際には多様性を尊重することこそが重要なのではないか、という考えが現在のスタンダードですよね。自然界に目を向ければ、海と陸、平野と森、その境界には多様な生命が集まり、豊かな生態系が生まれていて、そこから学ぶことはとても多いです。
武田 以前、国連で働いていたのですが、そこにはひとつの価値観をみんなで共有しているのではなく、200の国の人々がそれぞれの価値観を持ちながら共存していました。それが、国連のダイナミズムや活力を生んでいたんです。まさに、そういうことですよね。
大喜多 異なる価値観のなかで、自分をどう位置づけるかはとても重要です。KMDでは、学生に「自分の価値観を大切にしながら、他者とどう共創するか」を考えてほしい。そのためには、まず自分の文化的背景を理解し、自分をよく知ることだと思います。文化は世代を超えて発展し、かたちを変えていくもの。異なる文化に触れたとき、それをどう受け止め、同化し、自身をどう進化させるかが問われると思います。
南澤 それって、なんだか、江戸時代の「出島」のようですね。それぞれがアイデンティティを持ちながら共存し、お互いの価値観が交わることで新たな発想が芽吹く。KMDでは、未来の“出島人”が生まれるかもしれませんね。
“日本の知識生産の弱さは、ルールメイカーになれていない点にある”(標葉)
南澤 そんな“出島”にいると、これまでの常識というものを一度リセットできる良いきっかけになると思います。ルールや法律、コンプライアンスは、ときに変化を妨げることもありますからね。これからの時代は、「ELSI(倫理的・法的・社会的な課題)」を意識しながらルールそのものをどう再構築していくかが重要になってくると思うのですが、皆さんはどう考えますか?
標葉 日本の知識生産がなかなか進まない理由のひとつとして、ルールをつくる側に立てていないことが挙げられると思います。優れた技術や知識があっても、それを生かすためのルールを自ら設計しなければ、結局は誰かが決めた枠組みの中で動くしかない。せっかく優れた技術や知識があっても、それを生かすためのルールをつくってこなかったこれまでのツケを今払っているんだと私は思います。ルールメイキングに関与できなければ、ずっとプレイヤーどまりです。
南澤 KMDでは以前、「超人スポーツ」(というプロジェクトを実施しました。これは、東京オリンピック・パラリンピックに関連したもので、新しいスポーツを創造する取り組みとして何十もの競技が生まれました。このプロジェクトで特に価値があったのは、テクノロジーそのもの以上に、ルールをつくるという体験です。子どもたちやデザイナー、エンジニアと一緒に新しいスポーツを考え、そのルールを設定するプロセスを経験することで、「ルールは誰かが決めたものではなく、自分たちで変えられるものだ」という意識が生まれたのはとても貴重な体験だったと思います。
大喜多 そもそも、ルールの本質って何かをより良くするための仕組みですよね。例えばスポーツなら、ケガを防ぎながら競技を楽しむためのもの。でも、ルールが厳しくなりすぎると面白さがなくなるし、逆に適度なリスクが学びの機会にもなる。だからこそ、「どんなルールをつくれば、より自由で創造的な環境が生まれるのか?」を考える力を養うのはとても意義深いことです。
南澤 リスクをどうコントロールするかを知っていれば、むしろ自由にチャレンジできるようになります。好奇心のままに動いても、自己制御ができれば大丈夫。その自由を得るためには、自立していることが重要です。自分でルールをつくれる人ほど、自由に活動できますからね。
“ SFの世界は、夢物語ではなくて実現可能なこと”(武田)
南澤 ルールとは当たり前を定義するものですが、その当たり前を変えるルールメイカーになるためには、“What If”、つまり「もし◯◯だったら、どんな世界になるんだろう?」という発想が必要だと考えています。KMDは、学生にとって人生の転機になる場所であってほしい。ですから、私たち教員が刺激的なWhat Ifを投げかけつづけることがとても重要だと思っているのですが、皆さんのWhat If は何ですか?
永山 私が考えるのは、「もし無限の計算力があったなら、世界はどうなる?」。AIはもっと強くなりそうだし、未来まで予測できるようになるかもしれない。でも、すべてが決まった世界って面白くない気もします。
南澤 すでに私たちは、次に何が起こるかを予測しながら生きています。天気予報はかなり正確になったし、知らない場所に行っても、到着時間までわかる。それって便利だけど、すべてが予測可能な世界は、確かに刺激が減ってしまうかもしれませんよね。もしそういう未来が訪れたら、どうやってノイズや予測できない要素を取り入れるかが、逆に大事になってくるのかもしれません。
大喜多 私のWhat Ifは、「もし、自分が好きなことを5日間だけ徹底的にやるとしたら、人生はどう変わるのか?」です。日々、良い行動を心がけているつもりだけど、本当に心の底からやりたいことを全力でやっているかと聞かれると、どうだろうなって思うのです。徹底的に何かに没頭すれば、自分の可能性がもっと広がるかもしれない。
標葉 私は、「もし、生まれる環境が違っていたとしたら?」かな。今の自分とはまったく違う人生を生きていたかもしれないし、価値観も変わっていたかもしれない。突飛な話に聞こえるかもしれませんが、実際には、人生の選択肢が最初から周囲の環境や構造によって狭められてしまっていることも多いと思います。そう考えると、知識や知恵を生み出す人たちは、こうした「選択肢が限られてしまっている側」の視点も大事なんじゃないかと思います。
武田 私は、「もし、人が『こうあるべきだ』と口にした瞬間、それが物理的なインパクトを持って世界を本当に変えられるとしたら?」と、考えます。今の若い人は、何かを発信しても直接世界に影響を与えられないと思っている人が多いようです。でも実際には、彼らが発した言葉やアイデアは、少しずつでも世界を動かしている。私はSF少年だったのですが、サイエンスを学べば学ぶほど、それが夢物語ではなく、現実に影響を与える可能性を持っていることがわかってきました。もし、自分の発言が確実に世界を変えるとしたら、何を望み、どんな社会を実現しようと思うのか? そんな問いを投げかけてみたいですね。
“着の身着のままで飛び込んで”(大喜多)
南澤 KMDへ、ついに足を踏み入れた皆さんですが、これから出会う学生に何を伝えたいですか?
標葉 私から伝えたいのは、知識を得て満足しないでほしいということ。知識を得るだけでなく、それを知恵に変えていく人を目指してほしい。
大喜多 これまでの経験や肩書きを気にせず、着の身着のままで飛び込んできてほしいと思います。皆さんが積み重ねてきたものは強みであると同時に、「こうあるべきだ」と自分を縛る鎖にもなり得ます。学びの本質は正解を得ることではなく、新たな問いを生み出して好奇心を持ちつづけること。だからこそ、問題解決ばかりに注力せず、課題を見つける楽しさをぜひ知ってほしいですね。
武田 私は、イタリア・ローマに本部を置く「マルタ騎士団」の日本人騎士(ナイト)なんです(2022年、騎士に叙任)。マルタ騎士団は、11世紀に暴力が支配する暗黒時代といわれたヨーロッパで、宗教や性別、人種を問わず人々を救い、医療を提供する理念のもとで誕生しました。矛盾に満ちた世の中で、それでも理想を掲げる精神があったからこそ、1000年もの長きにわたって連綿と続いてきたんです。私は、今の若者に求められているのも、同じことだと思っています。この世の中は不合理なルールや矛盾に満ちていますが、そういったものすべて理解した上で、それでも自分の理想を掲げることができる人とぜひ一緒に学びたい。そして、その理想をただの夢で終わらせず、現実にするための行動を起こす勇気を持ってほしいです。
永山 KMDは、みんなに使われることで発展していくコミュニティだと私は思っています。なので、学生の皆さんにも思い切り使い倒す気持ちで来てほしい。アクティブに活動することが何より重要ですから、未知のものに飛び込んで、自分がどこまでいけるのか試してみたらいかがでしょう。KMDにはいろんな分野の人がいるからこそ、思いもよらない刺激を受けるはずです。そこから、自分にしかできないことが見つかるかもしれません。ぜひ、その可能性を探しに来てください。
